戦国自衛隊〜関ヶ原の戦い 第二部

なんでこんなにダメな後編なのでしょ〜かっ?
おんなじ脚本でも、監督が違うとこうも違ってしまうのかしら?
ダラダラと間延びしたシーンばかり、矛盾だらけの展開、キャッチボールになっていない会話、意味不明の動きや表情、ドタバタスラップスティックのような合戦シーン…


脚本 … 石原 武龍
監督 … <第1部> 猪崎宣昭 <第2部> 齋藤光正


いや、それだけじゃないでしょう。脚本、というか、話のツメが甘すぎです。


石田三成をバッサリ切って、嶋村が三成を名乗り、歴史を塗り替えようとしたところまでは、
「おお、いい感じの展開だ!」
と思ったのですが、その後に部下が島左近を銃で撃ってしまう辺りから変なテンポになってしまい、説得力が薄れてきました。


嶋村は歴史を知っていて、なおかつそれを変える為には手段を選ばないとか言っているのに、なんで関ヶ原で少人数(たった一個小隊にも満たない)をわざとばらけさせて、数で勝る雑兵たちに当たらせるのでしょうか?
ヘリコプターも戦車もあるのだから、一気に家康の本陣に突入して、敵軍の将を取ってしまえば済むことでは?
近代兵器の能力を過信し、「家康の陣に弾を撃ち込むのは、後のお楽しみ」とでも思っていたのでしょうか?
もし、所詮小さな個人には、歴史の大きな流れを変えることができないという事ストーリーで言いたいのであれば、取ったつもりが影武者だったとか、家康後の息子や家臣が有能で、結局徳川の世は崩れなかったとか、いくらでも脚本に説得力を持つ理由をつけられたはず。


そもそも、少人数で数万の歩兵を相手にするのに、小隊内で作戦を練っていた気配がない。地理の把握も、敵陣の情報も、奇襲の手段もあった筈なのに。
カリスマである小隊長・嶋村の、現場での陣頭指揮能力を発揮するシーンもない(無線などは使っていない)。
各自バラバラに、好き勝手に武器を扱っていたように見えましたねぇ。
指揮系統もはっきりせず、作戦展開もなく、各自好きなようにぶっぱなすだけ?
そりゃ、やられちゃいますよね。
家康に命じられて、ヘリと命を共にする女忍者も唐突すぎ。(口元のスカーフが変)
嶋村を最後に助けようとヘルメットを投げ捨てる瑤子(辺見えみり)もなんか浮いていました。群がる敵に対面して、武人としても防具を外したらダメだろう。


対する伊庭(反町隆史)について残った人々も、伊庭小隊長を筆頭にして、合戦を前にぼーっとしすぎ。
起こりうる状況を予測し、現状を分析し、可能な限りの策を実行するのが、自衛隊員としても人間としても、必要なはずなのに…
「俺たちはどうすれば良いんだ…」
とか言いながら、勝手に飛び出して言っちゃうヤツとかもいるし、ど〜なってるの?


最後の30分は、まさに蛇足。もう少し刈り込んでキビキビと見せてくれたら、反対に行き場のない死の運命という現実を表現できたと思います。
大勢の人が、槍と矢と剣でやりあっている中を、
「どいてくれ!この人は関係ないんだ!」
って横切ろうとした梶本(中村俊介)、そりゃ、無理だって…
とか、もうそれぞれのキャラクターの展開が無理やりすぎて、全然死に荘厳さがない。
サトエリちゃんだけが生き残り、記憶をなくして浮遊するというラストシーンはとても良いアイディアで、彼女の表情もとても良かったのですけれど。
懐かしいBGMが流れたのも、結構嬉しいサプライズでしたが。


そして最大の矛盾点。
かの時代に帰化しちゃった布施博(戦国時代の女子供を好きになって、こっちに残るってのは別にいいのですが、理由の台詞もいい加減過ぎ)。
この人は、現代に再タイムスリップしなかったんですね。
どーしてですか?死んだ人は帰らないのは判るけど…(いや、車や武器などの物理的道具と、死体が現代に戻ってきても良さそうだぞ、SF的に解釈すれば)


せっかくせっかく良い素材で、前半はいい感じでものすごく期待していたドラマだったのに、大変にがっかりです。
ところどころのシーンは、第二部でもすごく良いところもあったのですが(おりんちゃんの絡むところとかね)