同情と偏見の間

障がいのある方に対して、「可哀想」という人がいる。その同じ口で、自分の子は頭は悪くても障がいがなくて良かったとも言う。
結局、同情(憐憫)というオブラートに包んだ明らかな差別だ。
自分はその立場にないから、結局幸せなのだといいたいらしい。
聞いていて腹が立ったので相槌だけで受け流していたら、更に色々と「ご感想」を聞かせてくれた。
「知人に、障がいのある子供を持った人が居ます。その子と親と一対一だと精神的にキツくなるからと言って、兄弟を作って、家族全体で結構ワイワイ暮らしていますよ。」
と私が言ったら、
「そんな兄弟を持った子が、ちゃんとひねくれずに育つと良いわね。」
とまで言ってくれた。ではなにか?その知人家族が、不幸で生きている価値もないとでも?
「人間は親を選べませんからね。でも、結局親の育て方で違うんじゃないですか?」
と怒った私に、最後まで気付かなかった。


想像力に欠けた可哀想な人だ。
誰でも、年をとれば何らかのハンディキャップが出てくると言う事も、障がいというものは後天的な原因(病気や事故)が多いと言う事も、一生の中でそれらの程度・状況も変化すると言う事も実感できていないのだ。
障がいがある事は、確かに本人にも家族にもツライ事が多いだろうが、それについて他人が評価する事は、絶対してはならない事だ。


例えば、その不愉快極まりない発言をした人は、大変重い花粉症で、仕事にも生活にも多大な影響が出ている。それに対してもし誰かが
「本当にお気の毒ですねぇ、お金もかかるし、まともに日常生活レベルを維持できないくらいの重症で。しかも、体質がお子さんにまで遺伝してしまって。幸い私は親からアレルギーのない身体を受け継いで、しかも食生活などに気をつけていますから、花粉症の苦しみは全然わからないんですけどね。」
と言ったら、なんと思うだろうか?


勿論、こんな事を心に思うことすら、私は自分に対して許さないが。